「眼に見えない真実(エネルギー)」について

楽求(がっきゅう)

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あなたが「楽になりたい」「楽しく暮らしたい」と思ったら、

読んでみてください。

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「あの人はオーラがある。」

「海岸で写真撮ったらオーブが写ってた」

「交差点の定点カメラに幽霊が写ってた」

等よく聞かれます。

 

令和の今「エネルギーの姿」を認める事に抵抗がなくなっているようです。

 

そもそも地球誕生「生命の起源」から「エネルギー」は存在していました。この事実は説明を必要としないでしょう。

世界史を見ると、ヨーロッパ辺りで科学が発達した頃から「不思議」を認めなくなった様です。

科学者達は純粋に「自然の法則」を探求していたハズです。

一方「既存権威(教会など)」の教義は、「非科学的」な部分も孕んでいました。

科学が進むにつれ「既存権威」の教義が破綻しかけました。

その背反が「権威」と「自然の法則」の区別を冷静・適正に判断できず進んできたのです。

 

さて、日本に視点を変えて「科学的」と「非科学的」の歴史を見てみると

戦で敵だった者の「怨念」を恐れ鎮魂したり、

武士は「殺気」を感じ取ったり、

男女間の恋愛ではジェラシーによって「生き霊」となったり

「エネルギー」の存在を認めていた事が、古典から伺い知れます。

つまり、「科学的」を基軸とした産業革命や環境破壊が遅れたおかげで

日本人は「非科学的」な「エネルギー」と共存していたのです。

 

昨今「ビデオカメラ」なる利器が登場し、世界中誰の目でも「エネルギー」を確認出来るようになってからは「自然の法則」に対する敬意が回復したものと考えます。

 

さて「エネルギー」の呼び方は・・・

「オーラ」

「オーブ」

「念」

「気」

「霊」

等と多種多様の表現がなされています。

 

今回、ツブたてたい事が有ります・・・

ズバリ、霊障についてです。

あなたがこれらの「エネルギー」を感知し「苦」を覚える場合、俗に言う「憑依」や「良くないことが起きるようになった」という場合の原因について提示させてもらいます。

 

私が考えるに・・・

1,「エネルギー」自体が「マイナス・ネガティブ」「迷っている」「執着している」場合。

2,あなた自身が振る舞いを「変える」必要がある場合。

3,1と2が両方の場合

 

といった、原因によって「苦」を感じてしまうようです。

プラスのエネルギーを循環させることをお薦めします!

 

あなたが「楽」を得る為のヒントになれば幸いです・・・。

 

最後までお読み頂き有り難う御座いました。

 

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